《シンポジウムのご報告です・・その①》(2017年2月11日)


 2月4日に行われた「緊急シンポジウム」の内容報告を有志の方からいただきました。

 愛知教育大学前学長、松田正久先生のご講演は、次のような内容でした。

1.そもそも大学とは

2.大学の今・・現象的に起きていること

3.大学の自治と学問の自由

4.大学、とりわけ教育大学への期待

1.
 近代の大学Universityは、もともと学生や教師の組合から始まり、自由学芸(リベラル・アーツ)を重視した形で、知の継承を行うべきものであること。大学教育は、教員が一方的に与えるのではなく、学部学生や大学院生の「考え」も取り入れながら、学生と教員の双方で作り上げていくものであること。そして、大学は未来を照らす灯台・未来を見通す羅針盤として社会へ発信し、社会の進歩と発展のためには常に「今」を批判する精神が重要であること。

 坂田昌一博士のことばにあるように「大学が体制の中にあることは否定できないが、本来学問の本質は常に反体制であるということが重要である。・・・そういう意味で学問の自由が大学の本質である。大学は決して体制にくみこまれてはならないものだ」

2.
 国立大学の貧困化と競争的環境の激化は、運営費交付金の大幅削減を生み、それらに対して大学は教職員数の削減と研究費等の削減で対応していること。このような状況下、教育組織の改革やグローバル対応、各種評価への教職員の疲労、学長自身が10年後、20年後の未来像を描けない、まして文部官僚はいかにという状況が生まれている。

 大学改革実行プラン(2012年6月)国立大学改革プラン(2013年11月)による大学改革が推進された結果、大学評価で運営費交付金が配分されることになった。2017年運営費交付金重点支援評価により、福教大はC評価と評価される結果になっている。新自由主義「選択と集中」による資金配分は、大学の企業化・専門学校化と教養軽視、研究力の低下をもたらしている。

3.
 憲法23条「学問の自由」は大学の自治の保障を含む。学術は、世界の平和と人類の福祉の発展のためにある。学校教育法第93条により、学長権限が強化され、教授会が軽視された。教育の現場は教員であり学生、その当事者が教育の現場に精通すべきであり、それらが反映されない大学は大学でない。ボトムアップとトップダウンの調和的運営が原則で、学長の強権的介入による恣意的予算配分は何も生み出さない。

 学問の自由はすべて公開の原則であり、それは軍事研究に携わらべきでないことを意味する。現代の欧州の大学においては、平等と正義を育成する変革の推進者となるよう、学生を教育することを掲げ、学生代表の声も大学運営の枠組みの中に組み込まれている。

4.
 大学は、教養教育と基礎学問を重視〈科学・技術の知と社会・人文科学の知の融合〉し、未来を語れる教育を、学生も教員も職員も実現すること。欧州の経験から、学生の自主的主体的活動推進と学生の大学の中心に据えること。また、研究倫理基準で、研究者としての研究を大学として規制する必要がある。

 全ての大学構成員が参加する自治、全構成員自治の実現こそが大学再生の道であろう。

 教育大学へ期待することは、大学は教育委員会と緊張関係を持つべきであり、決して教員養成下請け工場となるべきではない。教育大学だからこそ、大学の自治の原則に立ち、民主的運営を追求すべきではないか。教養教育を重視し、3、40年先を見据えた教員の養成、教科の重視を必須として、自立した教員の育成を行う大学を、学生とともに創ることを目指すべきである。